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ARGOMENTO:

原爆 24/08/2013 17:50 #90

原爆

パオロ・ストローリン(ナポリ大学)
(鈴木秀憲/志賀奈月美訳)



サルバドール・ダリ 「
記憶の固執
」 (1931)、ニューヨーク近代美術館


強い相互作用 についての記事において、主題が原子核物理学から、厳密に言うとトピックから外れて、「原爆」へと至ったのは避けられないことである。原爆については盛んに論じられてきたが、過去の悲劇は常にわれわれの感情を揺さぶり、反省を迫るものでなければならない。記念行事の繰り返しのように、追憶は意識を新たにすることで警告として作用する。

戦争における科学の使用(誤用)は、歴史を通じて存在し続けてきた古典的な問題である。映画「2001年宇宙の旅」(1968)の冒頭シーンにおいて、スタンリー・キューブリックは、防衛ツールの発見が非常に敵対的な環境における霊長類の生存をどのように可能にしたか、そして同時に攻撃的な武器を与えたかを見事に 示した 。また鉄の時代が優れた武器を生産し、その所有者を優位に据えた。歴史の流れとともに増大した攻撃力に伴い、新しい知識の同様の結果が起こった。一例として火薬について考えてみてほしい。武器の開発は常に攻撃、防御、抑止という非常に異なった側面をもってきた。抑止力は平和や非侵略の期間を特徴づけさえしている。それは歴史家が 「 勢力均衡理論 」 と呼ぶもので、同等の強さを持った主体の共存を、少なくとも一時的に、認めるものだ。その典型的な例は、多くの独立国家に分裂し、互いに紛争の可能性を持っていたルネサンス期のイタリアである。

軍事力の増大にともない、抑止、防衛、攻撃の間のずれは拡大し、核兵器においてそのずれは劇的なものになる。しかし、常に核兵器の使用の先験的な定義は欠けているか、不可能である。戦時中の核兵器使用のコントロールは科学者の手中にはなく、政府が事態の変遷に従って決定を下していた。さらに、戦争においては、防衛と攻撃の間の境界は明確でない。

原子核物理学は第二次世界大戦の悲劇と時を同じくして発展し、その二つを切り離すことはできない。すなわち、核分裂によってもたらされる巨大なエネルギーは、すさまじい破壊力とそれにともなう抑止面での価値とともに、軍事目的に利用可能であるように思われた。その破壊力と抑止力という劇的なディレンマの中で「原爆」は生まれ、当時のアメリカ政府の手に渡った。このことが喚起されるとき、「そのディレンマによって最も直接的に影響された科学者の立場はどのようなものだったのか」という問いとともに科学のアイデンティティについての新たな反省の必要性が直ちに生じる。この問いに一般的な妥当性を持った答えを示すことは、不可能でないにしても、困難である。ここではアインシュタインの立場にのみ言及することにしよう。

アインシュタインは1939年、ルーズベルト大統領に宛てた有名な 手紙 の中で、核爆弾製造の可能性を研究する マンハッタン計画 の開始を勧めた。彼は手紙の中で、その動機を明確に述べている。「ドイツは、同国が接収したチェコスロバキアの鉱山から産出するウランの販売を実際に停止したものと思います。ドイツがこのように早めの措置をとったことは、ドイツの国務次官の子息であるフォン・ヴァイツゼッカーがベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していること、米国で行なわれた、ウランに関する研究の一部が現在そこでも繰り返し行なわれていることを考えれば、たぶん理解できるでしょう。」(『マンハッタン計画』(大月書店)岡田良之介訳)彼はナチスドイツが唯一の原爆保持者となること、そしてそこから想像される人類の悲惨な帰結を恐れていた。それは一方の他方に対する恐れが核武装競争を始める致命的なきっかけになった。フェルミとシカゴにある彼のグループは、1942年末にかけて最初の 原子「炉」 を建設し、中性子が連鎖反応を起こすことができることを証明した。その目的は平和的なものであったが、それは原爆の実現可能性を実証する重要なステップであった。

トルーマン大統領は、1945年、終戦に向けて原爆を広島と長崎に使用することを決定した。その数か月後となる10月3日、彼は議会において次のように 述べた 。「原爆は勝利をもたらさなかったが、確かに戦争を短縮した。われわれは原爆が使用されていなければ戦死していたであろう、多くのアメリカ・連合国軍の兵士の命を救ったのだ。」

印象的なことに、原爆はドイツによる攻撃を予防するための抑止力としては保持されなかった。それは戦争行為として、さらに日本の軍事的降伏を間接的に強いるため、無防備な市民を攻撃するのに使用された。そのことは世界の良心にとって深い衝撃であり、科学者の良心に深刻な疑問を投げかけた。

日本にとって、それは恐ろしい惨劇であり、その惨劇はほとんどの人が耐えられないであろう抑えられた感情ととともに長く深く生きている。それがどのようなものか知るために、 生きものの記録 」(1955)と「 八月の狂詩曲 」(1991)を見てほしい。

家から離れたところで上がる原爆の巨大な「キノコ」雲を突然見たおばあさんの語り得ない驚愕と狼狽を、あるいはすべてを破壊する人工的な太陽のシュルレアリスム的現象である原爆を、誰が忘れることができるだろうか。真の日本的精神において、「八月の狂詩曲」のこのシーンで黒澤監督は原爆によるすさまじい破壊を、実際の描写なく、高められた持続的衝撃で想像させる。繊細な精神で、そしていかなる明示的な現実よりも鋭く、黒澤監督はこの映画で、アメリカ人に対する日本人の感情の複雑さの持続をほのめかす。日本人にとってのアメリカ人は、忘れられない破壊の創造者(主な責任が何であれ)であり、勝者であり、現在では政治的に同盟しているという、同じ世界にいながら異なった文化を持って、すでにグローバル化に向かっている者である。その感情は、表面化に横たわり、決して言葉では表現されず、語でつづられるよりも強い印象をつくり出す複雑なものだ。それは木の根のように、見えないが地中深くに存在するのである。

今日、われわれは 広島 を訪れ、他の日本の都市と同じように立派に感じる。生命は再び歩み始め、木々は力強く成長している。自然は驚異的な勢いで自らに属するものを所有し、人間は驚異的な勢いで自らに属さないものを所有する。市の中心と荒廃の中心があった今や空き地となった場所を訪れると、また恐怖が込み上げてくる。見るに耐えない資料が、資料館と呼ぶには相応しくない場所に陳列され、われわれの眼にさらされる。実際、「資料館」という名称の前には「平和記念」という言葉が添えられている「 広島平和記念資料館 」。1945年8月6日の8時16分8秒という爆発の時間を永遠に指し続ける溶けかけの時計から、われわれは視力を失ったかのように目をそらすのである。約13万の「人々」にとって、時間はその時計とともに止まったままだ。さらに多くの数の人々が耐え難い苦痛を被り、死に至った。何十万の人々が彼らの身体と心に受けた原爆の名残とともに生き、今でもそうして生き続けている人々がいる。原爆投下の朝から70年も経っていないのだ。放射能の被害を受けた生存者は非常に多く、彼らには「被爆者」という特別な呼び名が与えられた。われわれはみなそのような耐え難い言葉を公然と口にするのは気が進まないが、新しい世代の人々が自分たちの未来を保持するためには、われわれがその言葉を語らなければならない。ここには広島で見た時計ではなく、シュルレアリストの芸術家サルバドール・ダリの絵画を載せることにする。シュルレアリスムは心的なレアリスムであり得る。

人類の義務として広島を「巡礼する」勇気を出すとき、われわれが感じる拭い去れない感情は非常に強く、いかなる怒りや非難の感情よりも高く遠く進んでいくようだ。人類の手によってもたらされた他の悲劇と同様に、そうした感情は平和を求める高く静かな叫び、平和の「必要性」に昇華するほかはない。今やわれわれはなぜ日本人が、優れた普遍的な精神によって他の感情を越えて、その場所を「平和記念」と呼んだのかを理解することになる。恐怖の巡礼は平和の巡礼なのだ。そのような恐怖はもういらない。戦争はすべてを破壊する。知識とよりよい生のために科学がなされる一方で、科学は、平和を維持するための、あるいは戦争を遅らせるための究極的な抑止力としてだけでなく、破壊するために使われることもある。われわれは「もう戦争は繰り返さない」と述べたい。われわれは、世界平和を守るためのあらゆる手段をとる決心を政府が抱くよう、少なくとも要求しなければならない。

科学者として、われわれは科学を行う理由を心の中に明確に持っていなければならない。上記のように、科学によって得た知識の致命的な誤用の可能性について語ることは、科学のアイデンティティについての基本的な問いをわれわれ自身に問い直すことへと導く。われわれの科学者としての動機は何だろうか。われわれの市民としての動機は何だろうか。以下が私の答えである。主な推進力は「ホモ・サピエンス」という種がもつ、知識への欲求から来る。ダンテの『神曲』において「諸君は獣のごとき生を送るべく生を受けたのではない。諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである」とオデュセウスは言う(『神曲 地獄篇』XXVI, vv. 119-120(河出文庫)平川祐弘訳)。人々の生活やわれわれが住む環境を改善するという科学的知見の応用可能性は、強い付加的な刺激を提供する。今応用が見えなければ、われわれは時に応じて進んでいけばよい。いずれにせよ、知識は内在的な価値を持つ。そのような肯定的な動機は、私の心と感情においては、ある科学の発展が、将来われわれが欲しない「他の」目的のために「使われ」得るという考えや恐れよりも強い。しかしながら、そのような可能性の存在は、科学者としてかつ市民として、常に警戒心を持つことへとわれわれを導くに違いない。
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パオロ・ストローリン
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Professore Emerito di Fisica Sperimentale
Università di Napoli "Federico II"
Complesso Univ. Monte S. Angelo
Via Cintia - 80126 Napoli - Italy

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Ultima Modifica: da P. Strolin.
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